事務職・アルバイト

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私の年齢も含め、時代が時代なら障害者雇用をしている企業に職を求めていたと思います。しかし、 大阪では障害者雇用も余りないのが現状でした。

私はダメもとで、家の近くの事務職・アルバイトに応募し続けました。当時はまだ、パソコンのEXCEL・ WORDSを使いこなせる人は少なかったと思います。私は商社時代、WINDOWS95を操作することが できていました。それをセールスポイントで売り込もうと思ったのです。

実際は非常に厳しい、いや、屈辱的な挫折感さえ覚えました。私を見て「求めているのは女性なんですよ。 すみませんね。」 これぐらいの言葉なら「仕方ないわなぁ。」で納得できます。しかし、ある会社では「カタ ワなんて必要ないねん。帰ってくれへんかな。」 私は心の中で「お前は一体、何様のつもりやねん。馬鹿 にしやがって!」

もちろん、理由も明記されて履歴書も返していただいた会社もありました。しかし、私の挫折感はどうしよう もないものでした。結局、6~7社受けてドロップアウト。

当時からパソコンはインターネットに繋げていました。暇なときはいつもニュースなどを閲覧していました。 そこである言葉に目が留まりました。それがSOHOです。SOHO=SMALL OFFICE,HOME OFFICE、つまり 自宅の部屋で仕事を探そうということです。この言葉がのちのち、私の大きな転換期になっていきました。

SOHOとの出会い

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事務職・アルバイトに挫折した私にとって、SOHO(SMALL OFFICE,HOME OFFICE)はかけがえのない可能性を 秘めた仕事でした。

私はSOHOで仕事を探しながら、MOUS検定取得・テープ起こしリライト取得、はたまた医療事務も講座で取得 しました。そして、左手で素早く入力出来るように、毎日、朝日新聞の一面をWORDSで入力し続けました。

しかし、SOHOではまったく仕事を受注していない状態が3ヵ月続きました。SOHOとしてのスキルが全くないため、 企業様(個人事業主様)にアピールポイントを何度も何度も試行錯誤しながらメールを送信し続けました。

今でも鮮明に覚えています。もちろん、現在も業務をさせていただいています。千葉県のある企業様から直々に 電話をいただいたのです。その会社は女性が社長をしていました。「山田さんのお宅でしょうか。メール拝見致し ました。単価は安いですが名簿のデータ入力されてみませんか?」私は当然二つ返事です。「はい!ありがとうございます。」

サイト90日、自分の口座に3ヵ月後、¥5.000が入金されていました。本当に嬉しかったです。私が脳内出血で 倒れて右片麻痺になり、それから約1年かけて稼いだお金です。 ささやかながら、その¥5.000で家族4人、夕食を楽しみました。




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