かけがえのない仲間

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ボバーズ記念病院で入院していると、自然と仲間が増えていきます。始めは「なんで麻痺になったん?」 この言葉がいつもスタートでした。今でも5人とメール交換をしていて、年に1回は会っています。その中でも、 田中(仮名)さんとは本当にヤンチャしました。

田中さんは私より10歳年上、×イチでした。脳内出血ではなく脳の一部が肥大し過ぎて、全身に軽い麻痺が 残っていました。田中さんの会話が本当に面白くて、いつも一緒に行動していました。

ある日「山田君、めっちゃ天気ええなぁ。お互い交互に車椅子に乗ってちょっと外出しよか」「田中さん、それ! 乗りました。早速、行きましょ!」...なんてことはないんです、病院の食事ってカロリーも制限されていますよね。 病院に2ヵ月も入るとお腹が減ってどうしようもなくなるんですよ。2人で順番に車椅子に乗りながら「今日は ラーメンやろ、今度は何を食べにいこか?」てな感じです。

まぁ、決して許されたことでもありませんが、病院から一歩も出なければストレスも溜まるし...何より、麻痺した 者同士が街中を歩くという行為が、世間でどんな風に見られるかがわかっただけでも、2人にとって勉強になったと思います。 ちなみに「勝手に外出お食事会」、もちろん最高人数は5人です。

せめて自転車に乗りたい

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ボバーズ記念病院にリハビリテーション入院している時でも、諦めきれない夢がありました。それは「自転車に乗る」ことでした。

長男はよく自転車に乗せて公園まで行き、いろいろな遊具で一緒に遊びましたが、長女にはそういう経験をほとんどさせない まま脳内出血で倒れてしまったから...。

「足を鍛えれば自転車に乗れるかもしれへん。」と思い、リハビリテーションの時間以外にスクワットもしていました。もちろん、 筋力をつけたからといって自転車に乗れないこともわかっていました。要はバランス感覚の問題ですから。

入院中、一度だけ友人に頼んで自転車を持って来てもらいました。「あかんかったら絶対に諦めるから、黙って持って来てな。」  結果は乗れるどころか、またいでサドルに座ることさえできませんでした。私は自分の中でけじめをつけたかったんです。 「自転車には乗られへんねん。長女にしてやれることを別に考えなあかん。」

ボバーズ記念病院で入院したことによって、私は精神的にも安定してきました。今までは自分のことだけを考えていましたが、 子どもたちのこと、妻のこと、、、そして今後の生活基盤のこと...本来の自分を取り戻したことで、いろいろなことが頭の中を 駆け巡るようになりました。これが脳内出血で倒れ右片麻痺になった5ヵ月後の私の状況です。




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