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    <title>３７歳父親が経験した苦悩の右片麻痺闘病記</title>
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    <updated>2011-09-19T22:36:30Z</updated>
    <subtitle>脳内出血...二児の父親は強く生きます</subtitle>
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    <title>「右片麻痺でも街中をたくさん歩こう！」へようこそ！</title>
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    <published>2009-10-24T07:03:33Z</published>
    <updated>2011-09-19T22:36:30Z</updated>

    <summary>当サイトは、３７歳の若さで突然の脳内出血に倒れ、それ以降右片麻痺になった山田（仮名）さんの経緯、葛藤、そして現在までをご本人に執筆頂いたものです。</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
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        <![CDATA[<p>
「右片麻痺でも街中をたくさん歩こう！」へようこそ！
はじめまして、管理人のゆういちと申します。
</p><p>
当サイトは、３７歳の若さで突然の脳内出血に倒れ、それ以降右片麻痺になった山田（仮名）さんの経緯、葛藤、そして現在までをご本人に
執筆頂いたものです。
</p><p>
山田さんと同じ片麻痺を抱える方々に少しでも勇気と希望を持ってもらえるように心がけて作成しました。
特に障害者が一番悩むであろう人間関係や社会からの目について多く書いています。
</p><p>
片麻痺が少しでも多くの方々に理解されるきっかけになれば幸いです。
最後になりましたが、障害に悩む方やそのご家族が幸せに過ごせますよう心からお祈り申し上げます。
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>突然に襲いかかってきた</title>
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    <published>2009-10-17T01:13:48Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:09:20Z</updated>

    <summary>

病気は突然、襲ってきました。横浜の友人が前日から野暮用で大阪に来ていたんです。夜、待ち合わせをして久しぶりにほろ酔い加減...気付いたら御前様でした。もちろん、我家に宿泊です。
次の日、少し眠いぐらいで何の変調もありませんでした。友人を見送るため新大阪に電車で...
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    <author>
        <name>tsu</name>
        
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        <category term="右片麻痺.netコンテンツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/01.jpg" width="200" height="190" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
病気は突然、襲ってきました。横浜の友人が前日から野暮用で大阪に来ていたんです。夜、待ち合わせをして久しぶりにほろ酔い加減...気付いたら御前様でした。もちろん、我家に宿泊です。</p><p>
次の日、少し眠いぐらいで何の変調もありませんでした。友人を見送るため新大阪に電車で。5歳になる長男も連れて行きました。駅まで徒歩で10分程度。「ちょっと身体が重いなぁ」でも会話も普通に話していました。電車に乗ると友人は寝てしまったので、私もウトウトし始めていたら...「やっぱり何か変やな。身体がいうこと効かへん？？？」
</p><p>
ちょうど終点について立ち上がろうとした瞬間、私は身体の右側から倒れこんでしまいました。「山田（仮名）～どうした？大丈夫か？」私は意識が薄れていくのを感じながら、必死に「あかんねん。身体が動かへんねん。」　その時はすでにロレツも回らず、友人には私が何を言っていたのかわかるはずもありませんでした。
</p><p>
友人が妻に電話をし現状を伝え、すぐ駅員を呼んでくれました。「お客さん、大丈夫ですか？しっかりしてください。」「若いのに脳内出血かもしれへん。」
ここから先は意識がなくなっていました。気付いた時はICU（集中治療室）です。
</p><p>
これが私と突然の病気＝右片麻痺の始まりです。今でもたまに夢に出てきます「若いのに脳内出血かもしれへん。」私が37歳の春の出来事でした。
</p>
<h3>右片麻痺になった前兆</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/02.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
よく言いますよね、脳内出血になる前、必ず前兆がありますと...。確かに、私は血圧150-90　多少高めで「そろそろ薬の厄介にならなあかんなぁ」と思っていました。
だけど、本当に前兆らしき症状　「ふらふらして真っ直ぐ歩けない」「手足から急に力が抜ける」「目が急に見えづらくなる」　このような症状が全くなかったのです。</p><p>
これは右片麻痺になってからインターネットを読んでわかったことなのですが、このような前兆、つまり一過性能虚血発作(TIA)は脳内出血をした30％程度の人にしか表れないそうです。
</p><p>
私の場合、驕りがあったのは事実だと思っています。血圧が多少高めでも「まだ40歳代にもなってへんのに、脳内出血で倒れるわけあらへんやん」「40歳までに薬飲んだら大丈夫や」　本当に大きな間違い、いや過信でした。
健康診断でも「少し高めですね。薬を処方しましょう。」と言われても、処方分だけ飲んで、あとは知らん顔でした。今となっては自業自得以外の何もありません。
</p><p>
このブログを読まれる人の中には「私も高血圧だけど、まだ大丈夫」と...これは根拠のない自信です。もちろん、年齢も関係ありません。前兆もすべての人に当てはまるわけではありません。麻痺になってからでは遅いんです！
私のように「後悔の念」にさいなまれる前に、是非、病院でしっかり診て貰うべきです。
</p>
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    </content>
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    <title> ICU（集中治療室）にて</title>
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    <published>2009-10-16T05:38:18Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:11:18Z</updated>

    <summary>

みなさんにとって、子どもの頃の父親はどんな存在でしたか？私にとって父親は威厳ある人でした。今はさすがに温和になりましたが。

私は脳内出血で倒れて、病院のICU（集中治療室）に運ばれました。もちろん、意識は全くありません。1～2日経って...
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    <author>
        <name>tsu</name>
        
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        <category term="右片麻痺.netコンテンツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/03.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
みなさんにとって、子どもの頃の父親はどんな存在でしたか？私にとって父親は威厳ある人でした。今はさすがに温和になりましたが。
</p><p>
私は脳内出血で倒れて、病院のICU（集中治療室）に運ばれました。もちろん、意識は全くありません。1～2日経って、意識があったりなかったりの状態の時、
家族や両親が来て少しだけ話しかけられたそうです。
</p><p>
妻や母親・姉に対しては「大丈夫！大丈夫やで！心配せんでも」　私はそう答えたらしいです。でも、父親に対してだけは違っていました。「お父ちゃん、ごめんな。迷惑かけて本当にごめんな。」（ロレツは多少、マシになっていたそうです）
無意識の中にも自分の本当の気持ちが出るんだとわかりました。父親には泣きごとというか素直な気持ちが表れていて、妻や母親、つまり女性に対しては無意識に男としての責任感・強さを見せたかったのだと思います。
</p><p>
当時、私には5歳の長男と2歳の長女がいました。子どもたちにはICU（集中治療室）にいる私を見せることはしなかったそうです。何故だと思いますか...私は右片麻痺になったのですが、顔の筋肉も麻痺で垂れてしまって「ひどい表情」になっていたそうです。つまり、子どもたちに見せられないほどの顔に...ICU（集中治療室）で子どもたちに合っていたら、私はどんな言葉を投げかけたんだろう...。父親としてどんな表情をしたんだろう...。
</p>


<h3>一般病棟での自問自答の日々</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/04.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
脳内出血で倒れてICU（集中治療室）に1週間、そして一般病棟（6人部屋）に移されました。
</p><p>
その頃の心境として「なんで右側の身体が動かへんねん。」「でも訓練すれば絶対に動くようになるわ。」...「一般病棟での自問自答の日々」とタイトルに書いていますが、結局「なんでやねん。」の繰り返しだったような気がします。
何かちょっと気に食わないことがあると、妻に、看護師さんにも暴言を吐いていました（脳に障害が起きた人のほとんどがこのような症状になるようです）。
</p><p>
ベッドの上から動こうにも動くことができず、上半身だけ持ち上げても5分もその姿勢を保持することもできない。脳内出血で倒れて、一番悶々とした時間が流れていった時だと思います。
発症して丸10年が経ちますが、一般病棟に移された1週間前後だけ、自分の心境もアヤフヤなのも事実です。
</p><p>
では何故、このようなタイトルをつけて記事にしているのか？それは脳内出血で倒れたすべての人が、このような状況に追い込まれるからです。動かなくなった身体に対して「焦り、憤り、後悔」です。それがまさしく悶々に繋がっているのです。
脳内出血の死亡率は年々減少しています。しかし、患者数は増加傾向にあります。つまり、私のように悶々とした日々を体験した人は増えているのです。
その当時の私は「なんでやねん。」の中に「なんでやねん。なんで生きてるねん。」...これが正直な気持ちだったと思います。
</p>


<h3>これ誰の顔？？？</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/05.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
私は脳内出血で右片麻痺になりました。麻痺と言うぐらいですから、右側の筋肉が重力によって垂れさがるわけです。一番顕著な例が足首ではないでしょうか。ダラーンと指先から垂れ落ちるという感じです。
</p><p>
私は一般病棟に移されてすぐ、妻に問いただしたことがありました。「俺が一般病棟にいてるのに、なんで子どもたちをここに連れてけえへんねん！」　私はどうしても子どもたちの笑顔が見たかったから、何度も何度も妻に詰め寄りました。妻も理由をいろいろ並べて言っていましたが、ついにこう囁いたのです。</p><p>「今の表情は子どもたちに見せられへんねん。麻痺だから頬も垂れさがって、すごい不細工な顔やねん。」「でもな、顔は直に元に戻るねんて。だから、もう少し我慢して」...
「元に戻るんやろ？だったら、今の表情見たいから鏡かコンパクト、持ってきてや。」　妻もそうなれば私に従うしかありません。
</p><p>
私は自分の表情を見て「あかん。これじゃぁ、怖がるだけや。」「裕子（仮名）、表情がある程度、元に戻ったら子どもたちを病院に連れてきてなぁ」
それから2週間ぐらいして、妻が子どもたちを病院に連れてきてくれました。考えてみれば、ロレツもまだ悪かったので子どもたちの名前を呼ぶぐらいで、あとはベッドに座らせ頭をなでることぐらいしかできませんでした。
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>残酷な医師からの宣告</title>
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    <published>2009-10-15T00:41:55Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:14:28Z</updated>

    <summary>

病院に運ばれて3週間ぐらい経った頃だと思います。担当医の中島先生に呼ばれました。
「山田君（仮名）、右片麻痺はもう治らへん。脳内出血で倒れて1週間、動くようであれば多少の改善の余地はあるけど、
山田君は全然動かへんかったやろ。」「しっかりこの現状を受け入れなあかんよ。」
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/06.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
病院に運ばれて3週間ぐらい経った頃だと思います。担当医の中島先生に呼ばれました。
「山田君（仮名）、右片麻痺はもう治らへん。脳内出血で倒れて1週間、動くようであれば多少の改善の余地はあるけど、
山田君は全然動かへんかったやろ。」「しっかりこの現状を受け入れなあかんよ。」
</p><p>
診察室を出て、妻と涙が枯れるぐらい泣きました。
例え、右片麻痺が治らへんとわかっいても、心のどこかで「治る可能性は絶対にあるはずや。」と、思っていましたから。
身体が大きくて、いつも明るく接してくれていた中島先生が本当に鬼のように感じました。
</p><p>
病院とは不思議なところで3ヵ月したら無条件に退院しないといけません（理由はここでは言いません）。
それから、2週間程してリハビリテーション専門のボバーズ記念病院に入院したのですが、その病院でやっと
中島先生の真意がわかりました。
</p><p>
中島先生は病気の現状を伝えることで、早く立ち直ってほしいと言う気持ちが強かったのだと思うのです。
確かに、私は「まだ、なんとかなるはずや」と思っていたのも事実ですし...。その真意をボバーズ記念病院で
理解できたのです。
</p><p>
半年ぐらいしてからでしょうか、慣れない左手で中島先生宛てに手紙を書きました。「いろいろ私のことを考えていただき、本当にありがとうございました（簡略）。」
中島先生とは今ではメル友になっています。
</p><p>


<h3>入院後、初めて街中を歩く</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/07.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
脳内出血で倒れ病院に搬送、結果は右片麻痺、何とか脳圧も治まり精神状態も安定してきました。
1ヵ月過ぎた頃からリハビリテーションの本を読み始め、病院内で階段の昇降、歩くことを訓練していました。
病院内の廊下って本当に真っ直ぐで、私のような麻痺患者でもつまづいて転ぶということはありません。
</p><p>
私の行動を絶えず気にしてくれていた中島先生から「山田君（仮名）、天気の良い日に一度、私と外を歩いて
みいへんか。」　私は二つ返事で「はい！お願いします。」
私は身長180cmあるのですが、中島先生も同じぐらい身長があるので私の杖代わりになってくれました。
</p><p>
私が脳内出血で倒れてから初めて歩く街中でした。「病院と全然違う。めっちゃ、怖い。」　健常な頃は道路
のガタガタなんか気にもしてなかった私が、ちょっとした傾斜や石ころでビクビクしているのです。
</p><p>
それよりももっと強く感じたことがありました。「さらしもの」という言い方には語弊があるかもしれませんが、
すれ違う人すべてが私をジロジロ見ているように感じてしまったのです。「可哀そう、まだ若いんちゃうの...」
こんな声が耳元で聴こえてくるのです。もちろん、錯覚の何物でもありません。
</p><p>
とにかく病院と街中では全く違う...病院で歩いていると気にかけてもらえる、街中ではそうじゃない。街中を
歩くということが、いかに大変かということを思い知らされた1日でもありました。
</p>
]]>
        
    </content>
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    <title>友達との久しぶりの再会</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://xn--nprs91egrclq0d.net/friends.html" />
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    <published>2009-10-14T03:48:14Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:22:54Z</updated>

    <summary>

実は、友達の面会は断っていました。右片麻痺になって顔の様相まで変わっていたし...入院期間が3週間
ぐらい経ってからでしょうか。以前働いていた企業の先輩2人が面会時間ギリギリにヒョッコリ会いに来てくれ
ました。
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    <author>
        <name>tsu</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/08.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
実は、友達の面会は断っていました。右片麻痺になって顔の様相まで変わっていたし...入院期間が3週間
ぐらい経ってからでしょうか。以前働いていた企業の先輩2人が面会時間ギリギリにヒョッコリ会いに来てくれ
ました。
</p><p>
私は嬉しくて本当にビックリしました（どこから私の情報を聞いたのかわかりませんが）。先輩2人は公私とも
仲が良く何かとお世話にもなっていました。
</p><p>
「オオオー！山田（仮名）、大丈夫かいな、めちゃくちゃ心配しててんで。」本当に有難かったです。入院する
前とまったく一緒な話口調...その時は涙腺も非常に弱かったせいもあり、泣き笑いの表情しかできませんで
した。
</p><p>
「お前な、どんな病気であってもしっかりせなあかんで。嫁さんや可愛い子どももいてるねんから。」「差し入れ、
何がいいかわからへんからケーキ買おてきたわ。」「いつもありがとうございます」
</p><p>
面会時間も過ぎて20：00を回っていたので、先輩2人も足早に帰られました。友達の面会を断っていても、
やっぱり不意に来てくれると本当に嬉しいもんです。
</p><p>
それから1年ぐらい経ち、3人で餃子の王将（中華料理屋）に行きました。餃子をあてにビールを飲みながら
「山田（仮名）、あのときのお前の顔、本当に変やってんで。不細工が余計に不細工になって、ほんまにビ
ビったわ。」友達ならではの言葉です。今でもたまにしか会えませんが、私のかけがえのない友達です。
</p>


<h3>山田君　下半身大丈夫か？</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/09.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
私の担当医だった中島先生は本当に明るく楽しい人でした。リハビリテーションの一環として一緒に街中を
歩いたり...それから数日経ったある日、いつものようにニコニコ微笑みながら私にこう言うのです。</p><p>「なぁ、山田
君（仮名）はまだ若いやん、37歳やったな。あっちの方（下半身）の具合はどやねん。」「ちゃんと機能するかどうか、
たまには夜にでも試してみなあかんで。」と...。
</p><p>
笑いながら問いかけられるので私もツイツイ「中島先生、それなら心配無用ですわ。ちゃんと機能するのは実証済み
です。」昔は60歳代、70歳代と年齢がいった人が脳内出血で倒れて麻痺を発症していました。だから、別に下半身の
ことなど医師も気にする必要などなかったと思います。
</p><p>
しかし最近では、私のような30歳代、40歳代、下手すると20歳代の人でも脳内出血で倒れているのが実情です。
だから中島先生にとっても、下半身の話は診察の一環だったんです。確かに、若くして脳内出血で倒れて麻痺を発症
してしまった場合、その代償の1つとしてインポテンツになってしまえば精神的なショックも計り知れない大きさだと思います。
</p><p>
とにかく下半身の話をする場合、超真面目な表情で診察するより楽しく笑いながらの方が絶対に良いと思いました。
</p>
]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>ボバーズ記念病院</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://xn--nprs91egrclq0d.net/hospital.html" />
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    <published>2009-10-13T03:55:59Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:26:49Z</updated>

    <summary>

脳内出血で右片麻痺になった私は、リハビリテーション専門のボバーズ記念病院に3ヵ月入院しました。

入院する前の私は「世界で一番可哀想な人間」と思っている節がありました。家でもワガママ三昧、家族
も私に対して恐る恐る、気を使っていた状態です。
</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="右片麻痺.netコンテンツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/10.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
脳内出血で右片麻痺になった私は、リハビリテーション専門のボバーズ記念病院に3ヵ月入院しました。
</p><p>
入院する前の私は「世界で一番可哀想な人間」と思っている節がありました。家でもワガママ三昧、家族
も私に対して恐る恐る、気を使っていた状態です。
</p><p>
しかし、ボバーズ記念病院に入院して、考え方が一変しました。入院患者は100人は下らなかったと思います。
もちろん、いろいろな麻痺の方がいました。私より麻痺がきつい人、私より麻痺がましな人...でも一番驚いた
ことは、私と同年代、もしくは私より若い人もたくさん入院していたということでした。
</p><p>
老若男女が一生懸命、明日に向かってリハビリテーションに精を出していました。動かない手足、神経を集中
して少しでも動くように頑張っている...私と同じ境遇の人が歯を食いしばりながら頑張っているのです。
「俺はなんて器の小さいしょうもない人間やねん。」　ボバーズ記念病院で自分自身を見つめ直すことができました。
</p><p>
また、ボバーズ記念病院の入院には規則がありました。始めの1ヵ月は8人部屋で過ごすことです。これも私にとって、
勇気づけられることでした。普段の生活で私1人だけが障害者、しかし部屋を見渡すと、皆何らかの障害を持っている
わけです。「障害で苦しんでいるのは俺だけじゃないねん、皆同じように苦しみをしょってるねん」
</p><p>
ボバーズ記念病院の入院生活が、私の転機になったのは言うまでもありません。
</p>


<h3>理学療法士と作業療法士との出会い</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/11.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
ボバーズ記念病院で毎日2時間、リハビリテーションを行います。1時間は理学療法士(PT)と、そしてもう
1時間は作業療法士(OT)と...。
</p><p>
理学療法士は言ってみれば、細かな部分、例えば指の動きなどを治療してくれます。柔らかいボールを
握らせて、右から左へとゆっくり移動させるように神経を集中させて...。
</p><p>
作業療法士は身体の大まかな動きを治療してくれます。例えばマットの上で横になり、動かない方の足全
体を腰から動かせるように運動させて...リハビリテーションで大事な事は神経を集中させることです。
そうすれば脳のシナスプ神経が徐々に増えていくからです。
</p><p>
私だけかもしれませんが、入院当初は性格も尖っていたので、扱いにくい人間だったと思います。しかし、
PT・OTで私の担当になった人は本当に心を込めて私に接してくれました。人間は感情動物、お互いの感情が
合わなければ上手くいくものもいかなくなります。
</p><p>
2人とも女性で、私より10歳ほど若かったと記憶しています。私はいつもブスッとしていて、何か話しかけれれば
無愛想に応えるだけの感じでした。しかし、2人とも毎日毎日、笑顔で私に接しリハビリテーションのこと以外も
いろいろ話してくれました。
</p><p>
笑顔というものを忘れてしまっていた私にとって、改めて見る笑顔は本当に新鮮でした。私が笑顔で挨拶をし
始めたのも、すぐだったと記憶しています。
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>かけがえのない仲間</title>
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    <published>2009-10-12T04:22:11Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:29:31Z</updated>

    <summary>

ボバーズ記念病院で入院していると、自然と仲間が増えていきます。始めは「なんで麻痺になったん？」
この言葉がいつもスタートでした。今でも5人とメール交換をしていて、年に1回は会っています。その中でも、
田中（仮名）さんとは本当にヤンチャしました。
</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="右片麻痺.netコンテンツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/12.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
ボバーズ記念病院で入院していると、自然と仲間が増えていきます。始めは「なんで麻痺になったん？」
この言葉がいつもスタートでした。今でも5人とメール交換をしていて、年に1回は会っています。その中でも、
田中（仮名）さんとは本当にヤンチャしました。
</p><p>
田中さんは私より10歳年上、×イチでした。脳内出血ではなく脳の一部が肥大し過ぎて、全身に軽い麻痺が
残っていました。田中さんの会話が本当に面白くて、いつも一緒に行動していました。
</p><p>
ある日「山田君、めっちゃ天気ええなぁ。お互い交互に車椅子に乗ってちょっと外出しよか」「田中さん、それ！
乗りました。早速、行きましょ！」...なんてことはないんです、病院の食事ってカロリーも制限されていますよね。
病院に2ヵ月も入るとお腹が減ってどうしようもなくなるんですよ。2人で順番に車椅子に乗りながら「今日は
ラーメンやろ、今度は何を食べにいこか？」てな感じです。
</p><p>
まぁ、決して許されたことでもありませんが、病院から一歩も出なければストレスも溜まるし...何より、麻痺した
者同士が街中を歩くという行為が、世間でどんな風に見られるかがわかっただけでも、2人にとって勉強になったと思います。
ちなみに「勝手に外出お食事会」、もちろん最高人数は5人です。
</p>

<h3>せめて自転車に乗りたい</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/13.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
ボバーズ記念病院にリハビリテーション入院している時でも、諦めきれない夢がありました。それは「自転車に乗る」ことでした。
</p><p>
長男はよく自転車に乗せて公園まで行き、いろいろな遊具で一緒に遊びましたが、長女にはそういう経験をほとんどさせない
まま脳内出血で倒れてしまったから...。
</p><p>
「足を鍛えれば自転車に乗れるかもしれへん。」と思い、リハビリテーションの時間以外にスクワットもしていました。もちろん、
筋力をつけたからといって自転車に乗れないこともわかっていました。要はバランス感覚の問題ですから。
</p><p>
入院中、一度だけ友人に頼んで自転車を持って来てもらいました。「あかんかったら絶対に諦めるから、黙って持って来てな。」
　結果は乗れるどころか、またいでサドルに座ることさえできませんでした。私は自分の中でけじめをつけたかったんです。
「自転車には乗られへんねん。長女にしてやれることを別に考えなあかん。」
</p><p>
ボバーズ記念病院で入院したことによって、私は精神的にも安定してきました。今までは自分のことだけを考えていましたが、
子どもたちのこと、妻のこと、、、そして今後の生活基盤のこと...本来の自分を取り戻したことで、いろいろなことが頭の中を
駆け巡るようになりました。これが脳内出血で倒れ右片麻痺になった5ヵ月後の私の状況です。
</p>

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    </content>
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    <title>右片麻痺の特徴</title>
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    <published>2009-10-11T04:31:28Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:50:33Z</updated>

    <summary>

右片麻痺の特徴として第一に挙げるとすれば、運動神経ではないでしょうか。左脳に運動を司る神経があるので、
その神経が死んでしまうと運動能力は極端に落ちます。実際、右片麻痺の人の方が運動障害も大きかったような感じがします。
</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/15.jpg" width="200" height="242" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
右片麻痺の特徴として第一に挙げるとすれば、運動神経ではないでしょうか。左脳に運動を司る神経があるので、
その神経が死んでしまうと運動能力は極端に落ちます。実際、右片麻痺の人の方が運動障害も大きかったような感じがします。
</p><p>
それともう1つ挙げるとするならば、言語障害です。ボバーズ記念病院に入院している時、いろんな人と友達になりましたが、
言語障害を引き起こしてる人は右片麻痺ばかりでした。
</p><p>
私は右片麻痺です。妻に一度言われたことがあります。「先生にこう言われたねんで。旦那さんはまず寝たきりになると
考えてください。多分、言葉も話すことは出来ないと思います。」頭部のMRIを何度も撮って見せてもらったことがあります。
脳の死んでいる部分が真っ白く写っていました。言語障害が起こってもおかしくない場所から脳内出血を起こしていました。
</p><p>
10年経過した私の身体の状況と言えば、右片麻痺はそのままですが杖を持たないで歩くことができます。言語に関しては、
最初の1～2年は口に唾液がすぐ溜まって話しにくかったのですが、今はほとんど健常な頃と変わらないくらい話すことができます。
</p><p>
そういうことを考えると「私はある意味、すごくラッキーだったんや。」と思ってしまいます。特に言葉が話せなければ意思の
疎通も困難になり、もっと自暴自棄になっていたかもしれないからです。
</p>


<h3>装具をつけて歩く、ただひたすら歩く</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/14.jpg" width="200" height="270" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
ボバーズ記念病院も退院し、半年間続いた病院生活に終止符。私は歩けなくなることに恐怖を感じていました。いろいろな
人の退院後の話を聞いていたからです。
</p><p>
こういう人がいました...1人だと歩くことも面倒くさくなって、結局寝たきりに。また...歩きたかったけど、人目に自分の姿を
さらすのが嫌で嫌で、、、結局、家の回りを歩くだけで行動範囲の狭い人生を送っているとか...
</p><p>
退院直後、私は足首が垂れ下がらないように装具で足首を固定し、左手には杖を持って歩いていました。目深に帽子を
被り目線は道路、ただただひたすら歩き続けました。毎日、みっちり1時間、汗がジトッと浮かぶぐらい。
</p><p>
ひたすら歩き続ける...これには自分なりの理由がありました。1人で歩く癖をつけたかったからです。面倒くさいと思わなく
なるように、歩くことに慣れることが目標でした。
</p><p>
もう1つ、目深に帽子を被り目線は道路...これはかなり深刻でしたし、私を悩まし続けました。とにかく、人の視線が怖かった
からです。「まぁ、若いのに可哀そう。」「これから大変やろうねぇ。」誰もそう思っていないことはわかっていました。しかし、
当時の私には夢に出るほど深刻な悩みでした。
</p><p>
道が少し狭いと誰もが端に寄ってくれました。「すみません。」「なんで俺がいつも謝らなあかんねん。」「おばちゃん、ジロジロ
見んなや。」　こんな声に出ない言葉ばかりが頭をよぎっていました。
</p><p>
だけど、その頃の経験が今は本当に役立っています。だって今は、装具も杖もいらない、帽子もいらない、前をしっかり向いて
歩いているからです。
</p>
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    <title>杖をつくのはやめよう</title>
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    <published>2009-10-10T04:39:00Z</published>
    <updated>2009-10-25T03:58:29Z</updated>

    <summary>

私は週に5～6日は絶対に歩くようにしています。習慣ももちろんあるのですが、週に3～4日も歩くことが
できなければ身体が動きにくくなり、体調も悪くなるからです。ご飯も美味しくないし...。
</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/16.jpg" width="200" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
私は週に5～6日は絶対に歩くようにしています。習慣ももちろんあるのですが、週に3～4日も歩くことが
できなければ身体が動きにくくなり、体調も悪くなるからです。ご飯も美味しくないし...。
</p><p>
退院当初、家にいると2歳の長女が私に寄ってきて、いつも手を握りにきていました。私の左手にぶら下
がり「抱っこ抱っこ」　家の中ではなんとかできますが、外では危なくてできません。
</p><p>
長女は装具をつけて杖を持って歩く私の横に、いつもチョコンとくっつくように散歩も一緒にしていました。
長女はいろいろ話しかけてくるのですが、私は生半可の返事ばかり「そうやなぁ。」　当初は歩くことで精
一杯で長女の問いかけにも上の空でした。
</p><p>
ある日、長女が「外でもお父さんと手、繋ぎたい」　私はその言葉に立ち止まってしまいました。「俺は長女
に何にも思い出作ってあげてへん。自転車に乗せることもできへんかった。」「なぁ、ゆっくりゆっくり歩くこと
になるけど、それでもかまへんか？」「うん！」
</p><p>
次の日から、杖を持つのも辞め、ついでに装具をつけるのも辞めてしまいました。「まだ若いねんから、自力
で頑張れば何とかなるやろ！」　そして、長女と手を繋ぎゆっくりゆっくり歩き出す練習を始めました。
</p><p>
現在、長女も中学生になりました。手を繋いで歩くことはしませんが、休日で時間があれば散歩に付き合って
くれます。。友達同士で話題になっていること、学校のこと、いろいろ話してくれます。
</p>

<h3>家族・親戚の有難さ</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/17.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
日本橋にある病院を退院しボバーズ記念病院へ入院するまで、1週間、私は家にいました。一応、退院祝い
ということで、親戚もかけつけお祝いをしてくれました。皆がいるときは私も愛想笑いをして、その場を取り繕って
いました。でも、いざ家族・両親だけになると、何とも言えぬ自分自身への怒りで、物を壊したり...とにかく好き勝手に暴れていました。
</p><p>
また、こういうこともありました。今もそうなんですが、麻痺した側（私は右側）の手足はしびれた感じがずっと
しています。妻をベッドに呼びつけ「身体がしんどいからマッサージしてくれ。」　妻は文句1つ言わず、モクモク
としてくれました。
</p><p>
私はウトウトし始めてパッと目が覚めました。その時間、2時間です。妻は黙ってマッサージし続けていました。
私は「ありがとう。」の一言も言わず「もう、ええわ。」　よくこんな旦那についてきてくれたなと今でも感謝しています。
</p><p>
今でもたまに妻とその当時のことを話す時があります。「ほんまはあんたとは別れるつもりやったんで。」「でもボバーズ
記念病院に入院し始めて、昔のあんたに戻ってくれたからこうして一緒にいてるねん。」「子どもたちも可愛がってくれるし
、、、もともと、人は良いんやから。」
</p><p>
私はいつもの梅酒を飲みながら、妻の話をニコニコ聞いているだけです。さすが姉さん女房です！
</p>

]]>
        
    </content>
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    <title>事務職・アルバイト</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://xn--nprs91egrclq0d.net/soho.html" />
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    <published>2009-10-09T04:50:58Z</published>
    <updated>2009-10-25T04:05:30Z</updated>

    <summary>

私の年齢も含め、時代が時代なら障害者雇用をしている企業に職を求めていたと思います。しかし、
大阪では障害者雇用も余りないのが現状でした。

私はダメもとで、家の近くの事務職・アルバイトに応募し続けました。当時はまだ、パソコンのEXCEL・
WORDSを使いこなせる人は</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
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        <category term="右片麻痺.netコンテンツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/18.jpg" width="300" height="219" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
私の年齢も含め、時代が時代なら障害者雇用をしている企業に職を求めていたと思います。しかし、
大阪では障害者雇用も余りないのが現状でした。
</p><p>
私はダメもとで、家の近くの事務職・アルバイトに応募し続けました。当時はまだ、パソコンのEXCEL・
WORDSを使いこなせる人は少なかったと思います。私は商社時代、WINDOWS95を操作することが
できていました。それをセールスポイントで売り込もうと思ったのです。
</p><p>
実際は非常に厳しい、いや、屈辱的な挫折感さえ覚えました。私を見て「求めているのは女性なんですよ。
すみませんね。」　これぐらいの言葉なら「仕方ないわなぁ。」で納得できます。しかし、ある会社では「カタ
ワなんて必要ないねん。帰ってくれへんかな。」　私は心の中で「お前は一体、何様のつもりやねん。馬鹿
にしやがって！」
</p><p>
もちろん、理由も明記されて履歴書も返していただいた会社もありました。しかし、私の挫折感はどうしよう
もないものでした。結局、6～7社受けてドロップアウト。
</p><p>
当時からパソコンはインターネットに繋げていました。暇なときはいつもニュースなどを閲覧していました。
そこである言葉に目が留まりました。それがSOHOです。SOHO=SMALL OFFICE,HOME OFFICE、つまり
自宅の部屋で仕事を探そうということです。この言葉がのちのち、私の大きな転換期になっていきました。
</p>


<h3>SOHOとの出会い</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/19.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>
事務職・アルバイトに挫折した私にとって、SOHO(SMALL OFFICE,HOME OFFICE)はかけがえのない可能性を
秘めた仕事でした。
</p><p>
私はSOHOで仕事を探しながら、MOUS検定取得・テープ起こしリライト取得、はたまた医療事務も講座で取得
しました。そして、左手で素早く入力出来るように、毎日、朝日新聞の一面をWORDSで入力し続けました。
</p><p>
しかし、SOHOではまったく仕事を受注していない状態が3ヵ月続きました。SOHOとしてのスキルが全くないため、
企業様（個人事業主様）にアピールポイントを何度も何度も試行錯誤しながらメールを送信し続けました。
</p><p>
今でも鮮明に覚えています。もちろん、現在も業務をさせていただいています。千葉県のある企業様から直々に
電話をいただいたのです。その会社は女性が社長をしていました。「山田さんのお宅でしょうか。メール拝見致し
ました。単価は安いですが名簿のデータ入力されてみませんか？」私は当然二つ返事です。「はい！ありがとうございます。」
</p><p>
サイト90日、自分の口座に3ヵ月後、￥5.000が入金されていました。本当に嬉しかったです。私が脳内出血で
倒れて右片麻痺になり、それから約1年かけて稼いだお金です。
ささやかながら、その￥5.000で家族4人、夕食を楽しみました。
</p>

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    </content>
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    <title>街中に出かけよう！　</title>
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    <published>2009-10-08T04:57:51Z</published>
    <updated>2009-10-25T04:15:33Z</updated>

    <summary>
「街中をもっとたくさん歩こう！」　これは私のライフスタイルになっています。

確かに、以前は「好奇な目で見られてるんちゃうか。」と思い続けていました。それは自分の本心を隠す言葉でも
ありました。「こんな不細工な姿見られたくないねん。歩くのが面倒やねん。」
</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="右片麻痺.netコンテンツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.jpg" src="http://xn--nprs91egrclq0d.net/img/20.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>
「街中をもっとたくさん歩こう！」　これは私のライフスタイルになっています。
</p><p>
確かに、以前は「好奇な目で見られてるんちゃうか。」と思い続けていました。それは自分の本心を隠す言葉でも
ありました。「こんな不細工な姿見られたくないねん。歩くのが面倒やねん。」
</p><p>
ある日、元同僚で私の直属の上司が遊びに来てくれました。以前と同じように面白い会話をしながら「山田が障害者
になってから気付いてんけど、結構いてるねんなぁ、障害者って。知ってるか、100人に1人の割合で生まれながらに
障害を持った赤ちゃんが生まれてるねん。そう考えてみると、障害者やなんて言ってられへんで。ほんまに多いねん。
つまりやな、お前がどんな格好で歩いていても誰もジロジロ見てへんってことや。」　不器用な元上司が精一杯、私を
励ましてくれました。
</p><p>
本当に嬉しかったです。普通に男と女がいるように、健常者と障害者がいるだけなんです。
私は元上司の言葉を聞いて、本当に勇気を貰いました。窮屈に歪んでいた私の心を真っ直ぐに治してくれました。
</p><p>
歩くことは、楽しい時もありますが辛くてしんどい時もあります。しかし、歩くことが自分のためであるのです。
私はこれからも、もっともっと街中を闊歩（かっぽ）し続けます。
</p>






]]>
        
    </content>
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    <title>片麻痺とは...</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://xn--nprs91egrclq0d.net/what.html" />
    <id>tag:xn--nprs91egrclq0d.net,2009://1.12</id>

    <published>2009-10-07T04:22:10Z</published>
    <updated>2009-10-24T04:24:10Z</updated>

    <summary>よくこんな言葉を耳にされると思います。「金銭感覚が麻痺する」とか「交通渋滞で麻痺する」...このように麻痺とは比喩される言葉に使われているように、身体の一部（あるいは全身）の運動機能が全く動かなくなった状態をいいます。</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="右片麻痺について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<p>
よくこんな言葉を耳にされると思います。「金銭感覚が麻痺する」とか「交通渋滞で麻痺する」...このように麻痺とは
比喩される言葉に使われているように、身体の一部（あるいは全身）の運動機能が全く動かなくなった状態をいいます。
</p><p>
右の上肢（腕）・下肢（足）、または左の上肢・下肢のどちらが麻痺した状態を（右・左）片麻痺、四肢全体が麻痺した
状態を完全麻痺と言います。（多少なりとも動かせる場合を不全片麻痺といいます）。
</p><p>
片麻痺の原因として、脳血管障害が一番に挙げられると思います。つまり、脳内出血・脳梗塞・クモ膜下出血です。
他には脳腫瘍・多発性硬化症・頭部外傷が挙げられます。
</p><p>
麻痺は中枢神経...脳や脊髄の神経で身体すべてのコントロールをする神経、抹消神経...中枢神経以外のすべて
の神経、この二つのどちらかの神経に障害が起こり、身体機能が損なわれるわけです。脳血管障害はまさにその状態なわけです。
</p><p>
片麻痺の人の様子を見ると、足首が伸びきった状態、腕が曲がった状態・もしくは伸びきった状態であることがわかります。
この状態は筋肉の硬直状態を意味します。腕が曲がってしまえばその状態で硬直、伸びてしまえばその状態で硬直、、、
そして、片麻痺になった部位の感覚は何もありません。これが言葉で表す片麻痺の症状です。
</p>
]]>
        
    </content>
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    <title>右片麻痺の症状</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://xn--nprs91egrclq0d.net/symptom.html" />
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    <published>2009-10-06T04:26:55Z</published>
    <updated>2009-10-24T04:28:38Z</updated>

    <summary>脳血管障害の代表例として脳内出血が挙げられます。脳内出血は脳の中の血管が破れて血の塊ができます。血の塊が出来た場所の神経は死んでしまいます。その場所が右脳であれば左片麻痺、左脳であれば右片麻痺になります。</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="右片麻痺について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://xn--nprs91egrclq0d.net/">
        <![CDATA[<p>
脳血管障害の代表例として脳内出血が挙げられます。脳内出血は脳の中の血管が破れて血の塊ができます。
血の塊が出来た場所の神経は死んでしまいます。その場所が右脳であれば左片麻痺、左脳であれば右片麻痺になります。
</p><p>
右片麻痺・左片麻痺の両方に出る症状としては、運動障害・記憶障害・空間認知障害があります。
運動障害は上肢・下肢の麻痺です。脳の損傷の場所によって重度の麻痺の場合もありますし、軽度の場合もあります。
</p><p>
麻痺になった人の歩き方を見てもわかると思いますが、重度の人は腰も曲がってしまい杖をつかないと歩けない状態です。
軽度の人はシャンと歩いているように見えます。しかし、麻痺の感覚は重度も軽度も関係ありません。何故なら、失った感覚
は取り戻せないからです。
</p><p>
記憶障害は言語中枢部分によって、失語症等々、非常にやっかいな病状を引き起こします。
空間認知障害は右片麻痺なら自分の右側の空間が認識できません。もちろん、左片麻痺なら自分の左側の空間が認識
出来ないわけです。例えば、右片麻痺の方が急に倒れたとします。その場合、必ず右側に傾いた状態で倒れます。
</p><p>
このように右片麻痺でも左片麻痺でも、同じような症状が起こります。発症した場所も重要ですが脳血管障害になった場合、
何といっても早急の対応が一番重要なのです。対応が早ければ血の塊も少なくなり、しいては片麻痺の症状もより抑えること
が可能になるからです。
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>右片麻痺と失語症</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://xn--nprs91egrclq0d.net/aphasia.html" />
    <id>tag:xn--nprs91egrclq0d.net,2009://1.14</id>

    <published>2009-10-05T04:31:04Z</published>
    <updated>2009-10-24T04:32:28Z</updated>

    <summary>脳血管障害によって右片麻痺になってしまった場合、もちろん上肢・下肢の麻痺もショックが相当大きいのですが、結果的にもっとショックが大きい症状を引き起こしてしまう場合もあります。それが失語症です。</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
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        <category term="右片麻痺について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>
脳血管障害によって右片麻痺になってしまった場合、もちろん上肢・下肢の麻痺もショックが相当大きいのですが、
結果的にもっとショックが大きい症状を引き起こしてしまう場合もあります。それが失語症です。
</p><p>
失語症は右片麻痺によく表れる症状です。右利きの方の言語中枢は99％左脳にあります。左利きの方の言語中枢
は50％が左脳にあります。つまり右片麻痺の方が圧倒的に失語症になる場合が多いのです（左脳に血の塊が出来
れば、右片麻痺になります）。
</p><p>
失語症にも軽度～重度まであります。相手にとって「滑舌が少し悪いように聞こえる程度」～「あぁ～～うぅ～～」...
全く話すことができない状態まで。軽度の場合は言語療法士によって、かなり改善されると思います。元読売ジャイ
アンツの名誉監督・長嶋茂雄さんは軽中度ではないかと思われます
</p><p>
また失語症を伴うことによって、字を書く・計算をするという行為もまったくできなくなる人もおられます。リハビリテー
ション専門病院に入院すれば、まず第一に知能テストが行われます。それは片麻痺によって、知能にどんな影響
を及ぼしたかを知るためにも行われているわけです。
</p><p>
右片麻痺で失語症になった人にとって、言葉が話せないという自分自身も大きな痛手を負ったわけですが、ご家族
や身内の方も意志の疎通ができないという部分で、非常に苦しい状況に置かれてしまうわけです。
</p>]]>
        
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    <title>クローネスの症状</title>
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    <published>2009-10-04T04:35:15Z</published>
    <updated>2009-10-24T04:37:10Z</updated>

    <summary>みなさんは貧乏ゆすりの経験がおありでしょうか。健常者が無意識にやってしまう行動です。片麻痺の人にも貧乏ゆすりと同じような症状を起こす現象があります。これをクローネスと言います。</summary>
    <author>
        <name>tsu</name>
        
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        <![CDATA[<p>
みなさんは貧乏ゆすりの経験がおありでしょうか。健常者が無意識にやってしまう行動です。片麻痺の人にも貧乏
ゆすりと同じような症状を起こす現象があります。これをクローネスと言います。
</p><p>
クローネスは片麻痺の人すべてに起こる症状ではありません。例えば、椅子に座って団欒していたとします。始めは
何もないのですが、知らず知らず足首からガタガタと震えはじめます。
</p><p>
健常者の貧乏ゆすりなら、意識して止めることができます。しかし、片麻痺の人のクローネスはほおっておけば、ずっ
と震え続けます。
</p><p>
クローネスの症状は片麻痺になって早期の人に表れる症状なのです。例えば健常者の足裏をボールペンで強くな
ぞった時、多少の痛さはありますが足が突っ張るということはありません。しかし、同じことを片麻痺の人にした場合、
過渡の過敏性から足指が強く上に動きます。
</p><p>
クローネスは筋肉の硬直と過度の過敏性というアンバランスから引き起こされる症状なのです。早期の人はまだ
そのアンバランスに対処しきれてないのが原因といえます。事実、1年もすればほとんどの片麻痺の人のクローネスは
改善されます。
</p><p>
クローネスの対処法として一番簡単な方法は、太腿をゆっくり持ち上げてもらい足の裏を地面から離すことです。また、
自分で立つことができる片麻痺の人は、重心を麻痺側の足にかけながら立ちあがってください。そうすれば震えは治まります。
</p>
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